21歳

やっぱり書くの大好きだー!

 

 

 

 

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。(平塚らいてう青鞜

 

 

 

 

 

mo chuisle

絹のガウン、リングに倒れた瞬間の静寂、一定間隔の機械音。

 

3日経っても余韻の残る映画を久しぶりに見た。

教授、ありがとう。

 

台詞があまりにも洗練されすぎていたのが唯一気になった。

あとで調べてみると、それがイーストウッドの映画の特徴だと書かれていた。

 

マギーの母が「いい娘ね」という病室でのシーンを見て

愛情というのは血縁だけで保障されるものではないのかもしれないと思った。

 

周囲を含め、家庭環境に恵まれて育ったゆえ

そのように考えたことはなかったけれど

心の安らぎを家族に一番に求められるのは当たり前のことではないのかな。

 

 

『あたしは思い通りに生きた その誇りを奪わないで

あたしの名前を呼ぶ人々の声が聞こえなくなるのが怖い』

 

『生かすことは殺すことだ 苦しみが、戻らぬように』

 

 

意思だけが生き続けて、身体の機能がとまっていくなかで

いい人生だったと思えるだろうか。

 

死は残されたものにとってのみ意味を持つんだと、改めて感じた。

 

10.15 (金)11:56

 

くらし

私が住むところには、たしかに暮らしがある。というか、暮らしがみえる。というか。

 

最近それがいいことだなあとつくづく感じている。村社会なんて揶揄して話のネタにしているが、この閉塞感こそが実は財産なのかもしれない。

 

同級生のほとんどが地元出身だ。

生まれ育った土地に親世代ほどの愛着が持てなくても、多少ばかり都会に憧れながらでも、地に足のついた暮らしをしているように思う。

 

わたしはかなりの地元lover(大阪loverのパロディ)だけど、大学を卒業してここを離れることになったら今の暮らし方が恋しくなるのかもしれない。

 

最後に手のひらを返すと、

希薄な人間関係の居心地良さへのあこがれゆえにこんな文章が生まれるという。

 

10.5

 

 

 

0を1にする

 

ある程度の時間と最低限の資金があれば、なんでも作るのは簡単でそれを運用していくのが難しい気がしている。

だから「0を1にする」と「1を10にする」の間には相当に大きな段差があるように思う。

 

20代のうちに経験したい。というか、する。

 

(参考記事)

https://news.yahoo.co.jp/articles/dd77724bd79486817b3902b802ad683f5b4d7ee9

「入社してすぐにアプリのローンチを経験することができました。そこでアプリの作り方や事業の伸ばし方、マーケティングなどを学べました。0を1に、1を10にしていくために必要なことを学ぶことができました。 自分の知識を事業として活かす方法も知れたし、もし独立しても自分で事業開発をやっていけるのではと、自信がもてるようになりました」(中川純希さん・株式会社ジザイエ代表取締役CEO)